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ブログ:「ひとりの人間、医師として」

第4回 日本の医師教育と「専門医」~真の医師・医療とは?~ (R7年1月に加筆・修正)

 

日本の医師教育はそもそも「専門医」を養成することに主眼が置かれ、私が医学部を卒業した時代は、卒業「前」に進路つまり自分の「専門科目」(心臓血管外科・整形外科・眼科、消化器内科などなど)を決めて、卒業したら出身大学出身県の医学部の「医局」(=例えば、第一外科医局や整形外科医局など)に入ることが至極一般的(≒常識)でした。

 

それが本当に「医師」のとるべき進路なのでしょうか?
 私が医学部を志したのは、僻地で活躍できる医師になりたいからに他なりません。
なので、私にとっての「医局」という選択肢は「NO」となります。
要は、眼科(眼科の先生方をご批判する意図は何らございません)だけ診ることができても、それでは僻地医療は成り立ちません。
 従って、「常識」から外れますが、「医局」には入らず一般病院=小牧市民病院に就職し、救命救急センターでの勤務を通じ、専門医養成の道を目的としない「異なる医師人生」をスタートしました(就職に至るまで→学生(6年生)の際には指導教授より御指導や御叱責がありました)。

現在の医師教育では、昔とは異なり、臨床医となる者は卒業後に進路は決めず、最初の「2年間」に内科・小児科・外科などの「必須研修科目」と自分の志望する「専門科目」をミックスして研修する形の「臨床研修医制度」が義務化され、しかも、大学医局だけではなく市中の「臨床研修指定病院」で医師のスタートを切る割合は著しく増加しました。
これは良いことと言えます。
 しかし、問題は臨床研修医が終わったあと「専攻医」として約3~5年間、「後期研修医」となり、日本専門医機構と学会の定めた方式により自分が決めた専門分野の専門医を取得するための研修や教育を受けることが一般的となっている点にあります。

 私自身、専門医の先生方は必要で、そのことに異論はありません。
何が問題か、それは「専門医」を目指す(養成する)「医局制度」が、国と学会主導型の「後期研修医という名を変えた専門医養成制度に変化しただけで、はなはだ疑問を持ちます。

 もちろん、専門医の先生は必要!!です。
なぜなら専門医(スペシャリスト)でないとできない医療も当然ある訳ですから。
ですが、医師の大半が「より高く狭い専門性」を極める必要があるのでしょうか?

私が医師20年位を迎えるまでは、「年齢や症状にとらわれず何でもみて必要な治療を行う総合診療医」という存在が認知されない世の中で、自分が何科の医師なのか名乗ることに大変苦労しました。
 現在も総合診療医が医師や社会に認知されたとは言い難く、「総合診療医」を養成する課程もできましたが、臨床研修医の先生方には全く人気がないようです。
 私は、この事態を非常に悲しく、未来への危惧さえ感じます。

 医学部の入学定員が大幅拡大されて久しいですが、近年の臨床研修医のその後の進路で救急科や外科・内科はなかなか増えず、美容外科や美容皮膚科・皮膚科・眼科などが増えていると聞きます。
 話が逸れますが、私たちが18歳の頃、将来の「医師過剰時代」に備えて国公立大の医学部定員が1割以上削減、一方、18歳人口は過去最高で医学部の偏差値は今では考えられない程の著しい上昇。
 現実は、医師過剰どころか「医師不足」に陥り、入学定員が一気に増加に転じ、ほぼ維持(現在は少子化も加速し国公立医学部偏差値は軒並み当時より10程度の低下)。
 この国の厚生行政に対し、その見通しの甘さを含め、「さまざまな点」で疑問を持たざるを得ません。

医師法は時代に即しているのか?
 多くのクリニック(診療所)では専門医の先生が病院勤務を経られてご自身のご経験により診療が行われています。
 昭和23年に制定されたの医師法では、医師は麻酔科以外を除きすべての診療科目を標ぼうする(=名乗る)ことができるとされています。
 循環器内科がご専門でも、開業する際、小児科・皮膚科・呼吸器内科なども加えて診療科目とすることは可能です。
 つまり、私が明日から「産婦人科医」となり医療行為をしても、合法です。

 さらに、医師法では、医師免許は一旦取得すれば生涯に渡り更新の必要がなく、たとえ「ブランク」があっても医師を名乗ることができることはすでに時代錯誤と言えるかもしれません。
 余談ですが、私の持論は次の通りです。
 医師免許更新制の導入、そして、5年毎に最近の医学情勢を踏まえた「必要最低限の医療知識等」を持ち合わせているか試験の合格をもって医師免許を更新する体制への移行が不可欠ということ。
 賛同者はなかなかいないと思いますが…。

 

現在、私は「総合診療科・救命集中治療科」と名乗っていますが、やはり、日本の医師教育制度専門医制度には大きな問題があると思っています。
 それゆえ、私は2023年4月前、前職退職時にすべての学会を退会し、専門医や指導医の資格は何もありません。
 医師免許証1枚しかない点では、立場的に私は「臨床研修医と同じ」です。

 では、なぜ専門医資格を捨てたのか、それは自ら医師の世界を歩んできた中で、専門医であることに何の意義(価値)や意味はないと感じ、学会に出席してポイントを得るだけで無試験で更新可能な専門医制度に嫌悪感さえ抱いていたからに他なりません。
 毎年秋に「学会シーズン」がありますが、今の時代、学会にいかずとも海外の論文を含めて知識を得る方法はいくらでもあり、そもそも学会に出席するために時間を作ることが苦痛でした。

それでは、私自身が考える「真の医師」であることとは何か、以下に「愚見」を述べます。
医師」とは、
さまざまな経験を積み重ね
救急・急性・慢性を問わず臨機応変に動き
年齢や症状に関わらず、どのような方でも診療に応じ
何が起きても動じず冷静に対応でき
各科の専門医の先生がお持ちになられる基本的(基礎的)治療を提供できること
加えて、
常に最新の知見を取り入れ、知識・技術ともに自分を鍛えあげることを忘れず
そして、患者さんご本人やご家族に対し、できる限り分かりやすく状態や治療方針などについて説明できること
これが私の考える医師の定義です。
同時に、「医師としての流儀であり、医師の真髄」と考えます。

 

 残念ながら、私自身が医師の卵たち=医学部生に「教える」ことは不可能であり、残念極まりない無念があります(医学博士を取得していない私が大学医学部でたとえ非常勤講師としても教壇に立つことは許されないことです)。

また、この世界(業界)にいて強烈に知った事実(真実)は、「医師との出会いは運命である」と断言できること。
 医師は全員が均一ではなく、考え方や知識・技能などにばらつきが多く、出会った医師により、生命に及ぼす影響、あるいは、人生の最期すら変わり得るという事実…。

 医師は薬を処方することが仕事ではありません
 あえて健康診断で異常を指摘されて受診しても、「見かけ上」検査値を正常化させるために薬を処方することが「医療の目的」ではないはずです=真に健康といえる状態に近づいていただくよう患者さんの立場になって考え、医師として勧めるべき方向性を分かりやすく提案することです。

 実際、高血圧や脂質異常などで受診されても、患者さんと向き合い、「話し合い」により患者さんの気持ちに従い、的確な(時には少し厳しい)アドバイスを行いつつ、時折「診る」ことで、処方なしで真の健康を得た方をこれまで多数拝見してきた事実から申し上げています。
 その前提として患者さんであると同時に「ひと」としてお考えがあると思います。
その上で「このまま食べたい放題で人生を謳歌したい」とお考えの方に健康上のリスクをご説明しても頑として「考え方を変えない」お気持ちであるのならば必要なアドバイスはさせていただくものの、積極的に医療が介入する意味はやや乏しくなります。
 つまり、医師は「医学的に正しい見解のもとで医学的見地からアドバイスなどをお伝えし、その解決方法を示したとしても、それをそのまま実行することが正しいとは言い切れないことが医療」と言えます
 一方、しっかりとお話し合いした結果、「これから先のことを考えて健康な道に向け軌道修正したい」というご希望があれば、多少のお薬は使用するとしても最適な道のりをお示しし、診察の場面をうまく活用することにより、結果として、お薬から離脱(例:減量に成功して維持でき、お薬が要らない状態)できれば良い訳です。
 それほど、医師とは「ひと」という渦の中にどっぷり浸かる職業と言えるかもしれません。

 

 私はそのような総合診療医(一般医)がしかるべき医師教育課程を経て多数養成され、専門医(スペシャリスト)もいる一方、ごく普通に総合診療医(一般医)がいるという未来を期待し、そのためであれば、私自身、自分の持つ知識や技術だけでなく医師としての心構えを含め、惜しみなく指導に費やしたい想いでいっぱいです。

とにかく、これからの先の未来、医師そして医療そのものが、真に病に苦しむ方々にとってより良くなることが一番大切であると心から感じる次第であります。(私の思想は、右や左のどちらでもなく、是々非々で思考し、何が事の本質なのか常に思慮するように心がけております)

 

 

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