第6回 ~いま、おもうこと~
(2025/10/24 運営会議議事録より抜粋)
~いま、おもうこと~
●完璧な組織など絶対にあり得ません。
日々の行いの中で「誤り(≒ミス・エラー・インシデント・アクシデント・苦情)」は生じるものとして受け止めること、もし、これまでその意識が薄かったのなら、今から少し意識を見直していただくだけで、仕事だけではなくこれから先の人生の道を歩む中できっと異なってくることでしょう。
今週は、・・・・・・・・・・(=エラー内容)がありましたが、その初動に誤りはありませんでした。 (*個人情報等のため・・・・・としております)
法人職員ひとりひとりの力で大樹は支えられています。
社会にも助けられています。
その中で、より良い医療・福祉環境を提供させていただくことこそが、「大樹」には求められています。
社会にも助けられています。
その中で、より良い医療・福祉環境を提供させていただくことこそが、「大樹」には求められています。
そのため長期間の慢性赤字から決別し黒字転化させ「たとえ今からでも」お金を計画的に積み立てることで、職員の方々を含めて「大樹を守る」ための基礎固めを行うことは経営者としての役割に過ぎませんが、何よりも【組織の向かう方向性を明らかにすること】が一番の職責と私は考えます。
そのため、例えば、(かつての)組織風土から良いところは残しながら悪しき部分からの脱却を図っていくこと、職種が異なってもお互いが「助け合う」ことで組織が成り立っていることの実感できるようにしていくこと(ひとつの職種がかけても大樹は成り立ちません)、チャレンジを望む者がいればその根の成長を健やかけ見守ることなどが挙げられます。
そのため、例えば、(かつての)組織風土から良いところは残しながら悪しき部分からの脱却を図っていくこと、職種が異なってもお互いが「助け合う」ことで組織が成り立っていることの実感できるようにしていくこと(ひとつの職種がかけても大樹は成り立ちません)、チャレンジを望む者がいればその根の成長を健やかけ見守ることなどが挙げられます。
大樹に来るまで私自身「雇われの身」で、職業:医師(≒医者の世界という非常に狭い世界に居る)ただそれだけ、でした。
2年余りが経過し、社会の仕組み・動きを肌で感じる中で、自分の未熟さや不勉強さ、知識だけでは渡り歩くことができない現実に直面して気付かされたことは実に多く、まずは学ぶ。そして、学びが正しいと思うのならば、学びを実践に移して行動していく中で経験していく過程に「知識と知恵(智慧)の違い」があるものと思います。
何もえらそうなことは申し上げられません。
しかし、「このようなひとになりたい!」と思ったことは誰にもきっとあるはずです。
実は、英語表記(日本語に換言すれば良いことでも英語でいうことが評価?されること)はあまり好きではありませんが、それを「メンター」と言います。
実は、英語表記(日本語に換言すれば良いことでも英語でいうことが評価?されること)はあまり好きではありませんが、それを「メンター」と言います。
自分の中でメンターを見つけられたら、それは人生の幸せにつながるものと信じます。
誰もが忙しさの中で大切なことを忘れがちになることは現代の中では仕方ありませんが、何かに「気付き」を得たり、やってみたいと「ふと」思ったことがあれば、とてもいいことだと私は思います…。
(私もメンターをみつけました!:紆余曲折を経ながら、本居宣長先生の「もののあはれを知るこころ」に行き着き、先生の生涯には奥深さがあり、こころから尊敬できる自分のメンターのお一人と、ひそかに思っています)
(私もメンターをみつけました!:紆余曲折を経ながら、本居宣長先生の「もののあはれを知るこころ」に行き着き、先生の生涯には奥深さがあり、こころから尊敬できる自分のメンターのお一人と、ひそかに思っています)
●年中さまざまな感染症が絶えませんが、大垣市内でもインフルエンザによる学級閉鎖が始まっています。まだ「流行期」とは言えませんが、ワクチンの効果は100%ではないものの、自分を守りまわりを守るために選択できる方法の一つです。
春先を過ぎてもインフルエンザの流行があるため、今年も接種時期は早めず、ワクチンによって得られる「抗体」の持続期間を考え、11月としました。ご希望の方は接種して下さい。
事前に希望日をお伺いしますが、特定の日に多く偏らないとようご配慮いただければ幸いです。
●急に冷え込んだり、また緩んだりと気候が不安定です。体調管理は難しいですが、心掛けていただき、お体を大切にしていただきたいと思います。
・・・長々と失礼いたしました・・・
(私は政治的な意図で事を申し上げるつもりは毛頭ありません)
本来、議事録の載せるべきことなのか、不思議と思われることと思います。
しかし、ただ、雇われているときとは異なる立場となり、自らの中で変わったことが非常に多くあります。
本当の「素直」とは何か。
さまざまな方がおっしゃっています。
やはり、その中でもこころに残るのは、「自分が《はい》と返事をしたこと、自分が学び得たことがあったとき」、「それをすぐに実行に移して実践すること」=素直。
日常的に使用している素直とは異なることへの気付き。(素直と従順との違い)
この影響は大きく、まさに素直に生きるよう人生での軌道が変わりました。
この影響は大きく、まさに素直に生きるよう人生での軌道が変わりました。
そして・・・
今を生きるひとから得られることも大きければ、過去の方々の教えは書籍という形でいまも残っている。
それならば、寸暇を惜しんででも学ぶことはあるはずと思わされました。
ビジネス本も現在をうまく乗り切るには良い手段であると思います。
しかし、昔のひとは何をどう考えて生きて来たのか。
そこにいまの私たちでは解決のできないことへのヒント=宝があるのかもしれないと思うのです。
あえて書籍や著者の先生を挙げることはいたしませんが、お一人の著作に感銘を受け他も読みふけると、その先生の原点を求め、さらにその源を知りたくなります。
時代は右往左往し、古代ギリシャ哲学に行ったり、論語に代表される四書五経に移ったと思えば、近代思想を知りたくなり、紆余曲折はありますが、一番最近、私のメンターのお一人になった方は、本居宣長先生です。
ご存知の通り、江戸中期の有名な国学者です。
まだ、拠点とされた三重・松阪にはお伺いできておりませんが…
しかし、多数の著作を残されつつもなかなか取り上げられることが少ないと不思議に感じますが、師とされた賀茂真淵先生から万葉集を学びつつ源氏物語に触れ、30年以上の年月をかけひたすら古事記を解読され、最期まで自分の言葉で伝えようとされたひととしての凄さ、私の中ではこれまで存在しなかった視点・観点に触れ、こころに強く響いたことに間違いありません。
時代は右往左往し、古代ギリシャ哲学に行ったり、論語に代表される四書五経に移ったと思えば、近代思想を知りたくなり、紆余曲折はありますが、一番最近、私のメンターのお一人になった方は、本居宣長先生です。
ご存知の通り、江戸中期の有名な国学者です。
まだ、拠点とされた三重・松阪にはお伺いできておりませんが…
しかし、多数の著作を残されつつもなかなか取り上げられることが少ないと不思議に感じますが、師とされた賀茂真淵先生から万葉集を学びつつ源氏物語に触れ、30年以上の年月をかけひたすら古事記を解読され、最期まで自分の言葉で伝えようとされたひととしての凄さ、私の中ではこれまで存在しなかった視点・観点に触れ、こころに強く響いたことに間違いありません。
出逢うひと、出会う事、出会う場所・・・出会う書籍でもひとは変わるものだと深く感じました。
このような心境がいまの私の根底にあります。
このような心境がいまの私の根底にあります。
つまるところ、感謝する場面は日常の中で無数にあると気付き、その中で、自分は生きているという実感が得られること。しかし同時に、無念にもひとには終わる時が必ず訪れること…
それらを強く感じます。
令和7年10月24日
後藤 貴吉